02 – 聖書女性像ー快活なリベカ

快活なリベカ       創世記24章

今回はイサクの妻になったリベカの結婚に至った物語です。 アブラハムはイサクの妻を探すために、信頼の厚い家令と 10 頭のラクダに貴重な品々を携えて 自分の故郷、アラム・ナハライムのナホルの町へ遣わしました。今のように写真や電話があるのではなく嫁を探すのに彼はとまどったことでしょう。 しかし彼には一つの希望がありました。主人アブラハムの神、主が幸いをアブラハムに与え、家令の旅をも導いてくださるとの願いでした。夕方彼はナホル町の外の井戸に到着し、おりしも女性達が水を汲みに来る頃でした。彼は早速神に祈りました。旅の目的を主が祝福してくださるように。次に水を汲みに来た娘に「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と言い、その娘が「お飲みください。あなたのラクダにも水を汲みましょう」と言ったら、その娘こそイサクのために定められた人としてくださいと。

そんなことはつゆ知らない非常に美しいリベカは泉で水がめを満たし上がってきた時、旅人に「水を飲ませてください」と尋ねられ、「お飲みください」と水かめから飲ませ、「ラクダにも飲ませましょう」とラクダにも水を汲みことを伝えました。 旅人に水をもてなすことは人道的な行為ですが、気立ての優しさ、人見知りしない快活さと気配りがなければ自発的にはむつかしでしょう。10頭のラクダに泉から水をくむことは、娘にとり健康で体力がなければできないことです。リベカが水を汲みに井戸に走って行き、すべてのラクダに水を飲ませた行動をみても、彼女が労苦をいとわず喜んで働く姿に頼もしく感じられます。

家令はお礼に金銀をリベカに贈り「誰の娘ですか。泊まる場所はありますか」と尋ね、「ナ

ホルの妻ミルカの子ベトエルの娘で、泊まる場所もわらも飼葉もたくさんあります」と答えました。家令は大いに喜び「主はほむべきかな。主は私の主人に慈しみとまこととを惜しまれず、主は私を主人の兄弟の家に導かれた」と感謝の祈りを捧げました。 親族と知ってリベカは走って家の人を連れて戻ってきました。

リベカの兄ラバンは家令と従者を 家に招き入れ宴の用意をしましたが、食事する前家令は主人アブラハムが息子イサクのため妻を親族の中から探すために遣わされたこと、主なる神が主人の兄弟の娘をめとらせようと家令を正しい道に導かれたを詳しく語り、ベトエルとラバンは「これは主から出たことですから、私どもは良し悪しを言うことはできません。リベカはここにいますから連れていってください」と結婚が成立しました。イサクとリベカの当人抜きで、両人の家長の話し合いによって当時の結婚は決められていたようです。

しかし気になるのはリベカの気持ちであり、決断の動機です。リベカは旅人がアブラハムおじさんからの遣いであり、しかも息子の嫁を探すために来たのは、リベカにとって他人事ではありません。 彼女は家令に初めて出逢った井戸端での出来事や彼の行動、会話を思い浮かべていたことでしょう。叔父アブラハムは神、主を第一とし、神様はアブラハムを豊かに祝福しておられること、家令も同じ信仰を持ち彼がリベカの前で感謝の祈りをささげた彼の謙遜な態度、リベカの父と兄が「これは主から出たこと」として100%受け入れていることなどを考えているうちに、リベカの考え方がまとめられてきました。この結婚話は主から出たことで、神様の存在に気が付いたのです。平安に満たされたリベカは、翌日帰る家令と共に行くのに何のためらいもありませんでした。いいえ、ためらいどころか未来の夫イサクに会う期待と希望を膨らませていたことでしょう。                              古山