01 – 聖書女性像ーふさわしい助け手エバ
ふさわしい助け手エバ
聖書に出ている女性をとうして神様と人との交わりと絆が見えてきます。そこには古今東西を問わず信仰の真理があり私たちに問いかけます。聖書は人生の手引き書です。その時代にふさわしく生きた女性から学んでみたいと思います。
創世記の初めに出てくる人は神のかたちに創造されました。神様が造られたすべての物ははなはだ良かったのですが、「人が一人でいるのは良くない。彼のためにふさわしい助け手を造ろう」。と神様はあらゆる創造されたものを
彼に見せられ、彼は被造物の中からふさわしい助け手を見つけられませんでした。そこで神様は彼を深く眠らせ、そのあばら骨の一つを取ってひとりの女性を造り彼の所に連れて来ました。その時彼は「これこそ、ついに私の骨の骨、私の肉の肉」と歓喜に包まれました。彼(アダム)にやっと人格の交わりと愛の対照がである女性(エバ)が与えられました。
「女性はアダムの脇腹のあばら骨から造られた。アダムを支配するために頭からでなく、アダムに踏みつけられるための足からでもなく、彼と等しい者として彼の脇腹から、彼に保護されるために脇の下から、彼に愛される者として心臓の近くにある脇腹から造られた」。とよく耳にし私も同感です。神様が人とすべての物を創造られた時「はなはだ良かった」と評価されました。「聖書は女性をどう見るか」の稲垣緋沙子氏は著書の中で次のように書いています。「人が何か欠けて補わなければならないために女性を造られたととなえるのは、神様の意に反することではないでしょうか。この「ふさわしい」を訳されている言葉は、一方が他方を補う立場であるのではなく、互いに対等に向き合って助け合う関係です」。これこそ本来神様が望んでおられる結婚の二人の関係であり家族の姿です。
それはエデンの園で実現できたのですが、罪が入ってその関係は破局を迎えました。二人はエデンの園から追放され「彼はあなた(エバ)をおさめるであろう」と神様の言葉があり(創世記3:16)、エバを代表する女性は夫に仕え(1ペテロ3:1)夫の良き助け手になるようになりました。 エバ一人が蛇の誘惑を許容したばかりに罪が入り、アダムとの関係、神様との交わりが壊れ、家族の関係にも影響が生じました。小さな穴がダムを壊す力があるように私たちは些細な事柄にも気を付け、まず神の国と神の義を第一に求めて行く者でありたい。
古山 礼子